漣の合宿と言えば、ほとんどは「河口湖」である。富士山のふもとに抱かれたこの風光明媚な湖は、いつも多くの観光客で一杯です。富士五湖の周りは、合宿のメッカと言っていいほど、東京地区を中心とした体育会系、文化系団体が集まってきます。

 そんな富士五湖には音楽専用の合宿所も数多くありますが、さざなみは、その中でも河口湖周辺をよく利用します。

 我々の合宿を少しご紹介しましょう。

【出発】

 朝10時。あちこちから、団員が国立駅近くのとある場所に集まってきます。合宿頭から参加する人は団員の車にて移動します。参加人数は諸般の事情で増減しますが、今まで車のキャパが足りなくなったことはありません。

 時間通りにどれだけ集まるかはご想像にお任せしますが、だいたい10時頃には出発して、中央道を一路河口湖に向かいます。

【連絡手段】

 数台の車が連なっていきますが、ずっと連なっていくわけではありません。それぞれの車の事情に応じて、走行中はばらばらです。一応途中の落ち合い場所を「談合坂」と定めていますが、時間通り集まるかどうかは、わかりません。

 一昔前までは、誰かが持ってきたトランシーバを使っていましたが、最近は携帯電話の普及によって、連絡手段の問題はまったくなくなりました。

 遅刻者によって、しんがりをつとめる車が出ても、確実に連絡をとることができます。いや~、便利な世の中になりましたねぃ。

【談合坂】

 唯一無二の休憩場所です。朝ご飯を食べる人。郷に入りては郷に従えとばかりに、巨峰ソフトを食べる人などいろいろです。しばしの歓談を経て出発です。

【富士山】

 合宿へ行くまでの道での楽しみの一つは富士山を見ることです。大月ジャンクションを過ぎて、河口湖線に入った後、しばらくいくと、天気がよければ、前方に大きな富士山が見えてきます。 東京でも多摩地区にいると、天気のいい日にはあちこちで富士山を見ることは可能なのですが、やはり近くで見るとスケールが違います。なんかやっぱりおおらかな気分になるのは私だけでしょうか。

 【ほうとう】

 河口湖インターを降りたあたりで、大体12時付近になり、お昼の時間です。さざなみでは、河口湖合宿のお昼は山梨名物「ほうとう」と決まっているのです。合宿所として「おおば」さんを使うことが多いので、ほうとうやさんも河口湖大橋をわたって少し行ったところにある、「不動ほうとう北本店」が常店です。河口湖付近の別の合宿所を使う場合にも、「不動ほうとう南店」など、とにかく不動ほうとうです。何故かって?なんででしょうね。

 1000円でメニューの種類はありませんが、いわゆるほうとうは、素朴な味で、3月の肌寒い時期には、体をあっためるのにもってこい、真夏の合宿でも、「暑いときに暑いものを食べる」。健康つくりにもってこいです。

【練習】

 練習は午後一から。1泊2日の場合には、初日の練習時間が6時間、2日目が5時間。普段の5倍もあるのですから、疲れ果ててしまいます。

 5月または6月に定演をやる場合には、3月の合宿は、最後の追い込みになります。この合宿の最後の通しでどれだけ仕上がっているかで、定演の出来栄えが予感されます。

 また、8月の合宿は、新曲の音取りを精力的にやります。夏は2泊3日なので、社会人は休暇を取っての参加となりますが、1泊2日に比べて10時間増の練習時間なので、かなり多くの曲の音取りが進むと言う筋書きです。でも現実的には、参加できない方もいたり、せっかく練習したのにしばらくやらないと忘れてしまったりで、合宿の後ももどかしい日々が続きます。

  

【懇親会】

 これがないと合宿ではありません。いろいろな珍しいお酒が持ち込まれて、酒好きにはたまりません。しんどい練習もひと時忘れて、明日も歌うこともすっかり忘れて、おしゃべりに興じます。気が付いたら、日も変わって声もガラガラで、これで明日歌えるかなという感じです。

 さすがに昔と違って、皆間違いなく年を取っていっているので、徹夜にはならなくなりましたが、この年齢の集団にしては充分に若いといえるでしょう。

【食事】

 これも大きな楽しみの一つです。どこの合宿所も趣向を凝らした食事が出てくるので、わくわくしながら食べています。

【アクシデント】

 特別行事も長くやっていると特別なこともおきます。1998.8.28-30で予定していた夏合宿は、出発当日「台風来襲」!

 筆者は、初日の参加はできず、会社で仕事をしていたが、国立駅前に集合しているメンバから緊急電話。あまりの強風に、どうしようかと言う相談でした。強風の中央道を走る危険、行けたとしても帰り道路が通じているかどうか判らないという問題、同じくJRもどうなるかわからない不安、などなど冷静に判断して中止という苦渋の決断。

 結果として、状況は益々悪くなったので中止の判断は正解でしたが、既に準備を進めてくださっていたおおばさんにはとてもご迷惑をおかけしました。「天災なので仕方ないですね」と言って下さいましたが、後日お手紙と少しばかりのお詫びのしるしをお送りしたことは言うまでもありません。